俺は、人の面倒を見るのが嫌いだ。
というか、その重さゆえ「関わりたくない」という気持ちがあると言ったほうが適切であると思う。
よく、「人の面倒を見るのが好き。」とか「人の相談事に乗るのが好き。」という人がいるが、一人の人間と向き合うことの重要さを軽視してはいないか?
ただし、嫌いと表現したが、向き合う人間に引かれ、向き合うことの重要さを理解した上で、付き合っていくことはあるとフォローを入れておこう。
っと、ここまではプロローグ。
私は、今、会社で一人の社員の面倒をみている。
社会的に表現すれば、「部下が一人いる」のであるが、俺より年上だ。
業務上わからないことなどは、よく質問してくるし、教えればちゃんとやってはくれる。
しかし、俺はこの人間とは向き合いたくない。と感じている。
業務上の建前での付き合いにとどまることだろう。
上記にあげた言葉、捕らえ方によって意味が変わってくるということがご理解していただければ、俺の建前上の付き合いにとどまるという意味がわかると思うが、
・「よく質問してくるし」
自分で調べない。
まずやってみようとしない。
わからないことがあったら、すぐに人に聞く
・「教えればちゃんとやってくれる」
教えたことしかやらない
教えられてないことでも応用してやろうとしない
教えられてないことは自分で率先して教わろうとしない
例外が発生したときに自分で考えれない
こういう状況なんですよ。
はっきりいって、仕事以前に「気合」と「精神力」、そしてなにより「向上心」、「上昇志向」に掛けている。
悪いとは言っていない。
そういう人間もいていいと思う。
人それぞれなんだし。
ただ、
「俺はそういう人間とは、建前の付き合いしかできないよ。」